ミルクティーのことを何も知らない

 ホーロー製のミルクパンを買った。タイル風にデザインされたポケモンの柄がプリントされた、かわいいやつだ。(こういうやつ↓)

www.pokemoncenter-online.com

 

 ここ数年は、ポケモンセンターで見かけるたびに「欲しいな」と「でも、使うか?」が激しくバトルしていたのだけれど、ようやく「欲しいな」に軍配が上がる形となった。そもそも売り切れない限り「欲しいな」が負けることはないので、理性にとっては最初から不利な戦いだったのだ。

 さて。

 せっかく買ったからには使いたいなと、これを使ってミルクティーを入れてみた。普段はミルクティーなんて飲まないけれど、鍋で作るミルクティーというものに若干の憧れがあったし、この鍋にはミルクティーが合うような気がしたからだ。

 朝から洗濯と洗い物を終えたので、作り方を調べる。見つけた作り方に従い、鍋の中に水100mlを入れる。鍋底から水面までの距離が想像より近くて少し不安になったが、レシピの写真と見比べて「まあこんなもんか」と納得して点火する。

 水が沸騰するのを待つ間に、ティーバッグの紐をはさみで切り取る。茶葉でもあればもっと良かったんだろうけど、あいにく我が家にそういうものはなかった。程なくしてお湯が沸いたので、ティーバッグふたつを鍋に入れる。レシピに従いタイマーは2分。炎は弱火。お湯が紅茶の色に染まっていく。

 このあと牛乳200mlを鍋に入れる必要があるので、必要な分量をあらかじめ計量カップに用意する。うちで使っている計量カップは、200ml分の液体を入れても上に数ミリの余裕があるのでありがたい。

 ティーバッグを入れて1分くらいで「紅茶の色ってここまで濃かったっけ?」と不安が頭をもたげてきた。見るからに渋そうな色。まあでも後からミルクを足すならこんなもんなのかな……と、そのまま見守る。

 タイマーが鳴った。ティーバッグをフォークで取り出し、用意しておいたミルクを紅茶に合流させる。冷たい牛乳が入ったことで温度が下がり、水面が落ち着く。見る間に鍋の中はミルクティーの色になった。よかった。一安心。

 弱火のままで温め続ける。レシピサイトには「沸騰すると膜ができるのでふつふつと泡が出てきたら火を止めましょう」と書いている。

 湯気は立っているけれど、まだ沸いてはいない気がする。念のため、鍋の中を覗き込もうと顔をポットの上にもっていく。その瞬間、甘い匂いが一気に鼻に届いた。もうこれはミルクティーだ。砂糖は全く入れていないのに、とても甘い香りだった。ミルクティーって無糖でもこんなにいい香りがするものなんだなと初めて知った。もう少しだけ温めると、ふつふつ泡が出てきたので火を止めた。

 右手でミルクポットの持ち手を握り、左に傾ける。注ぎ口からマグカップにミルクティーが流れ込む。量は、用意したマグカップにちょうどだった。空になった鍋底に、お茶の色をしたぶつぶつが見えた。焦げ付きではなさそうだから、まあ、洗えば取れるだろう。

 マグカップを持ってキッチンから和室に移動し、テーブルにカップを置いて、その前に座る。ふぅと一息ついて、さっそくミルクティーをくちに運ぶ。

 思っていたより味の主張が弱かった。途中あれだけ渋そうな色をしていたのに渋みはないし、香りからはあれほど甘さを感じたのにそれもなかった。少し不思議だったが、そういうものなんだなと思った。スティックシュガーを入れようかとも考えたけど、まあ、それは次回にしよう。

 

二十二分間の冒険

6時58分。

起き抜けに無意識で手に取ったスマートフォンのロック画面には、そのように表示されていた。少しの時間ぼーっとその表示を眺めて、意味を理解した瞬間肝が冷える。――寝坊した。

普段は6時半にアラームを設定して寝ている。昨日もそうしたはずだ。だが、起こされた記憶がない。アラームを止めた記憶もない。スマートスピーカーでアラームを設定しているのでオフにするには声を出さなくてはならない。手が当たってたまたま〜というようなことはないだろう。……などと考えていても仕方ない。切り替える。

7時20分には家を出ないと間に合わない。ただ、仮に遅刻することになったとしても、シャワーを浴びる必要はある。昨晩浴びそこねたからだ。あとは歯磨きもしたいが、普段のようにのんびり時間はかけられない(10分くらい歯ブラシをくわえてぼーっと磨いたりしていることがある)ので、洗口液で軽く口をゆすいで歯磨きするだけにしよう、と方針を決めながら服を脱いでいく。

スカルプブラシを使わずガガッと手ゆびで髪を洗い、トリートメントの工程はカットして、気持ち急ぎつつ身体を洗って泡を洗い流し浴室から出ると、7時6分だった。悪くないペースだ。

化粧水だけを顔につけ、乳液は諦める。この手順をカットすることでどの程度の時間を取り戻せているのかはわからないが、とりあえず何かやった気になりたかった。

まだ濡れた髪をタオルで覆ったまま、服を身に着けていく。幸い今の仕事はスーツではなくカジュアルな、というかラフな、というか汚れてもいいような格好なので、それほど時間はかからない。靴下は五本指ソックスを愛用しているが、焦っていても慣れたもので苦もなく履けた。

床に座ってドライヤーを使って髪を乾かす。トリートメントを使わなかった弊害だろう、指の通りが悪い。ごわごわしている。普段はかるくクシを通してから乾かし始めるのだが、そんな時間はないので余計に引っかかる。大型犬を撫でているみたいだった。肩くらいまで伸びた髪は、当然乾かすのにもそれなりに時間がかかる。髪の内側はまだ湿っているような気がするが、ある程度で妥協して、後ろで簡単にまとめた。

立ち上がり、冬物の上着を着て、スマホとイヤホンをポケットに入れ、腕時計をつけ、通勤用のリュックを背負う。その際にスマホの画面表示を見ると、時刻は7時16分だった。なんとかなった。

駅に到着。少し待つと、乗りたかった電車が到着した。いつもより乗客が多いような気がしたけれど、取りこぼしが発生するほどでもない。遅延もないようだ。

8時57分。

始業の2分前に到着し、なんとか無事にタイムカードを押せた。

こういう成功体験ってよくないんだろうなー。

冬の良し悪しの悪し

昼前に干した寝巻は、乾ききっていなかった。九割、いや九割五分は乾いていたと思うのだけれど、脇の下や裾の折り返しの若干厚みがある部分に、ひんやりとした湿りを感じた。

日はもう沈んでいる。これ以上物干し竿に吊り続けてもかえって夜露に濡れるばかりで、意味はないだろう。諦めて室内に取り込む。

何年か前の梅雨の時期に、室内干し用のポールを買った。畳一畳分くらいのスペースを占有するそれは、1K6畳の我が家にとってはまあまあ邪魔だけれど、仕方ない。寝るまでに乾き切ることを祈って、そこに寝巻を含めた洗濯物をぶら下げる。暖房は25度に設定されている。

今。

う、う〜ん……。ホテルでこれだとちょっと嫌だけど、自分が着ていたもので、自分が着るなら、まあ……。もうちょっと寝ないけど、まあでも、う〜ん……。

2025年8月21日の晩ごはん

今日の夜は、近くのスーパーで買った油淋鶏弁当に、千切り状態でパック詰めされて売られているキャベツを添えたものを食べた。

油淋鶏弁当というのは(と訳知り顔で解説しているが、買ったのは今日が初めてである)、名前の通りメインのおかずとして弁当箱の面積の半分を油淋鶏が占領しており、残り半分は白米、そしてその隙間で居心地悪そうに申し訳程度のお漬物がちょこんと座っているお弁当だった。「油淋鶏が大好物です!」というわけでもないのだが、価格に惹かれて購入した。300円ちょっとだった。物価高騰の折、たった300円払うだけで、献立を考え、調理し、洗い物をするという手間をカットできるのはありがたい。仕事帰りなのだからなおのことだ。特に洗い物はあんまり好きではない。一人暮らし用の食洗機を買いたいな〜と、ふとした拍子にいつも思う。

一人暮らしを始めたての頃と比べると、自炊の頻度が目に見えて減った。もう10年も経つしまあそんなものなのかもしれないけれど、なんとなく寂しい。調理自体はそれほど嫌いではなくて、余力があるときには料理もしている。「献立」というより単品だけど。

油淋鶏弁当は、まあそれなりに美味しかった。外食で出てくると少しがっかりするだろうけれど、平日の夜をなんとなく締めくくるにはこんなもんだよなという味だった。言っても300円だし、ケの日だし。

洗い物や調理の必要がなかったので時間が浮いて、普段より少し早めにお風呂に入れた。そんなわけで、今はお酒を飲んでいる。ありがとう、油淋鶏弁当。ありがとう、スーパーマーケット。

成人式の日の思い出

成人式には、スーツを着て参加した記憶がある。式の内容は残念ながら何も覚えていないのだけれど、少し天気が悪かったことと、もうひとつ、記憶に残っている事がある。それは、会場の外で紙袋を配っていた人たちのことだ。

 

成人式の会場から外に出た僕は、何かを配っている人たちを見つけた。少し近づいて見てみると、彼らが配っていたのは紙袋だった。持ち手がついたそれを新成人ひとりひとりに手渡している。足元には段ボール箱があり、そこから在庫を補充していた。

僕は、式の運営の人が参加者に何かを配っているのだろうと思った。会場出入り口とバス停の導線上だったのでそのまま近づくと、想像通り紙袋を手渡された。ラミネート加工された、破れにくそうな紙袋だ。その人たちは、紙袋を渡しながら「これからのあなたの人生の助けになりますように」というようなことを言っていたと思う。

少し離れた場所で受け取った紙袋の中身を確認する。どうやら本が入っているようだ。袋から抜き取って表紙を眺め、はたと気づいた。ご想像の通り、宗教の(たぶん)お偉いさんが書いた本だった。

これが記憶に残っているのは別にその本に感銘を受けたわけではなく、こんな祝いの場で新成人相手に騙し討みたいなことをする人たちがいるんだ、と衝撃を受けたからだ。今にして思えば、まんまと騙されてそれを受け取ってしまった自分を恥ずかしく感じる気持ちもあったような気がする。ある意味では、その辺ぜんぶひっくるめて大人の洗礼だったのかも知れない。

 

数日後、面白そうな本はないかなと入った新古書店で、あの日受け取ったのと同じタイトルの本がたくさん並んでいるのを見つけた。一度も開かれていないみたいに綺麗なその本たちには、その店がつける最低価格の値札が付けられていた。

それでも売れ残り破棄されるだろうその本を見て、「ざまあみろ」の気持ちでひっそり笑んだ。

 

走れ門松

今日の午前中、社用車を運転していたときのこと。車の中には僕一人だったので、YOASOBIをシャッフル再生しながらのんびりと下道を走っていた。それほど混んでおらず、道幅も十分ある走りやすい道路だった。

三車線あるうちの真ん中の車線を進んでいると、左車線の軽トラがこちらに合流しようとしているのがサイドミラー越しに見えた。少し速度を落とし、前を走る車との間隔を広げる。それに気づいたのだろう軽トラは、流れに乗りながら滑らかに車線を移る。

合流してきた軽トラの荷台を見て少し驚いた。そこには、荷台の横幅いっぱいのサイズの、門松があった。ロープで固定はされていたものの、特にブルーシートなどで覆われるでもなく、剥き出しのまま荷台に載せられ走る門松は少しシュールだった。

考えてみると、確かに近くのスーパーマーケットからは正月飾りが消え、コンビニでは恵方巻きの予約を勧める店内放送が流れていたような気がする。それに昨日は七草粥の日だ。僕も普通に仕事が始まっているし、我が家のお正月の名残も、食べるタイミングをなんとなく失って残されたお餅くらいしかない。年末年始で回収がお休みになっていたゴミも出せた。

今まで考えたこともなかったけれど、世の中には、自分のお店からトラックに載せられて走り去る門松を見送ることでお正月の終わりを実感する人もいるのかもしれない。そう思うと少しおかしかったし、実感のないまま気づけば過ぎている自分と比較してちょっとうらやましい。

今年もよろしくお願いいたします。

 

It is blanc

運命を信じますか? ーーなんて訊くと少し怪しげに聞こえてくるが、実際のところ、僕はあまり運命というものを信じていない。より正確に言うならば、あまり信じたいと思っていない、だ。

英語には "It is written" という表現がある。これは、要は僕たちに自由意志はなくて、全ては神によって "書かれている" 運命だ、というような意味らしい。映画『スラムドック$ミリオネア』でも印象的に使われていた。

運命が "It is written" なのだとしたら、そんなものはクソくらえだ、という気持ちがある。僕とあなた、僕と僕の好きなものの出逢いは全て偶然で、でもそれでも今の関係性を形作れているとするならば、それは運命よりももっと素晴らしい、と思う。

「自分の運命を切り拓いていくのは自分だ!」なんて威勢のいいことが言えるタイプではないけれど、偶然をつかみ取れるかどうかは自分次第な部分もあると思うので、その辺の嗅覚は鈍らせないよう生きていきたいな。行動に移せるかは、また別の問題だけれど。