From Youth to Where

「結婚おめっと」と、メッセージを送った。連絡を取るのは、どうやら前回から3年10ヶ月ぶりらしい。

相手は小学生の頃からの友達、というのか、幼馴染というのか、腐れ縁というか悪友というか、とにかくまあそういう関係のヤツだった。「親友」はむず痒くて使えないけれど。

僕が彼の結婚を知ったのは数日前で、それを知ったのは母からのLINEだった。偶然街であったときに聞いたらしい。

僕と彼は、なんとなくお互いに張り合う関係だった。とはいえ普通に仲が良くて毎日のように遊んでいたけれど、それはゲームだったりスポーツだったりどっちが先にシリーズの新刊を読むかだったり、いろんなことでライバル視していたように思う。

小学校を卒業してもそれは同じで、結局中学校以外は同じ学校に通い、そんなふうにすごした。

そんな彼に結婚について『先を越された』わけだけど、なぜだかそれは別に悔しくなくて、「ついにあいつが結婚するのか」と感慨深くなってしまった。「歳をとったなぁ」とも思った。

前回会ったときに、彼と一緒にお酒を飲んだ。宅配のピザを取り、近くのコンビニでお酒を買って、それを夕食にした。

小学生の頃の友達とお酒を飲むのは初めてではなかったんだけれど、その日はなんだか妙に落ち着かなくて、彼も少し照れたような顔で「こんな日がきたかぁ」とため息をつくようにして笑っていた。

僕にとって、ひょっとすると彼にとっても、あの関係性は無邪気な少年時代の象徴だったのかもしれない。20歳を超えて集まっても、カードゲームをしたり、テレビゲームをしたり、そういうことをするだけの、あの頃の過ごし方をできる相手は彼だけだった。特別といえば特別だったんだろう。癪だけど。

小学生の頃、将来の夢を作文に書き、発表する授業があった。

僕も周りも将来ああなりたいこうなりたいと子供らしい夢を語るなかで、彼は「普通にサラリーマンになって普通に結婚して普通に子供を作って──」といった夢を語っていたことを覚えている。

彼は当時父子家庭だった。そんな彼がどういった想いであの作文を書いたのかは想像しかできないけれど、あの日描いていたイメージに近づけているんだといいなと思う。

僕はもう少し子供時代に取り残されるつもりだけれど、彼に今度会う日が来たら、なんとなく気恥ずかしくて避けていた付き合い方もしてみたいな。おめでとう。

Aqours 5thが終わって雑感

僕はあまり「永遠」だとか「ずっと」だとか、そういう言葉が好きではない。いつ嘘になるかわからないからだ。せめて好きなものや人に対しては誠実でいたいから、そういう言葉で好きを表現することをためらってしまう。でも、先週行われたAqours 5th LoveLive!においては、その言葉を伝えたくなった。彼女たちはわかっている。いずれ終わりが来ることも、すべてのファンが最後までついてきてくれはしないことも。

それでも、それがわかっていながらも「ずっと好きでいてほしい」なんて言われたら、そりゃあ僕だってあの瞬間の感情を永遠だと思いたくなるし、そう伝えたくなってしまう。なってしまった。だって、それほどまでに素晴らしいライブだったんだ、Aqoursの5thライブは。

セットリストも、衣装も、照明も、曲も歌詞も、そしてもちろんキャストのパフォーマンスも、すべてが見事に噛み合って、愛に溢れた素晴らしいライブだった。

この先がどうなっていくのか、そもそもナンバリングのワンマンライブをやってくれるのかというところも含めて、ただの一ファンである僕にはわからない。でも、それでも、あの瞬間に感じた永遠が嘘にならないように、今後も応援し続けることができたら嬉しいなと思う。

だって、あの場で「信じてる」だなんて言われたら、そうするしかないし、そうありたい。永遠よりは短くても、ずっとくらいなら約束できると信じたい。

ただの4月7日

休日の朝は時間がある。平日は目を開けてから脳を起こしていだけで家を出る時間になってしまう感覚なんだけど、そもそも休日は「家を出る時間」というのが定まっていない。良いことだ。

そんなわけで、予定のない休日はだいたいパンケーキを焼き、紅茶を淹れて朝昼兼用の食事にしている。──とだけ書くとなんとなくオシャレな雰囲気もあるけれど、別にそんなことはない。ホットケーキミックスは600gで200円しないくらいのものだし、紅茶も安さだけを基準にそこらのスーパーで選んだものだ。更に言うと部屋は散らかりっぱなしなので、少しでも机の上から視線を外すと、途端に普段の生活の色が濃くなる。

パンケーキを食べ終え食器を片付けると、部屋の散らかり具合が気になり始めた。こういう日は数ヶ月に何回かあるんだけど、どうやら今日はその日だったらしい。暖かくなってきたからだろうか。どちらかというと、暑いより寒いほうが好きなんだけど。

大きなゴミ袋を取り出し床にばらまかれた紙類を入れていく。前の職場の労働条件が書かれた書類は要らないだろうし、終わったライブのチケットは取っておくにしても、チケ代の支払証明は要らないだろう。別になんでもない買い物をしたときのレシートなんかも出てきたりする。そういうものを捨てていく。

部屋が片付ききる前に飽きてきたので、いったんいいやと床にごろんと横になる。僕の家は和室なので床は畳だ。家具は置きづらいけれど(前に本棚を置こうとしたらどう頑張っても斜めになるので怖かった)、こういうごろんとなれるところは好きだ。

ごろごろしながら音楽を流し、ツイッターを眺める。この「眺める」って表現も面白いな。あれだけ文字が並んでいるのに「読む」じゃなくて「眺める」だ。感覚的に。

昨晩は人と会っていろいろな話をして楽しかったんだけど、僕はこういう一人の時間も好きで、だから上京できたしホームシックには罹ってないんだろうなぁと思う。たぶん親が共働きで小学生の頃から一人の時間があったから耐性があるんだろう。いやでも妹は「一人暮らしは絶対無理」って言ってたし、生まれながらの性質か。

生まれながらの性質というと、僕が文章を書きたがるのは、ブログなんてやってるのはどちらなんだろう。後天的に備わった特性なのか、先天的なものなのか。正直どちらであっても僕の今後にそれほど違いはなさそうな気がするので、どうでもいいと言えばどうでもいいんだけど。そもそも“書きたがる”なんて言っても、昨日の更新が半年以上ぶりだ。みんな、ひさしぶりっ!

なんとなくブログに距離を感じていた気がする。敬語というのはわざわざ面倒な言い回しをすることで相手に敬意を表現する方法、みたいな話を聞いたことがある。……気がする。つまりそれでいうと気軽なツイッターに比べてブログというのは文章に対する敬語表現で、だから構えすぎていたのかもしれない。

僕とブログは付き合いだして十年以上の仲なので、今後はもっと気楽にやっていきたいな。

休日の夜に時間があったので、こういう記事を書いてしまった。いい傾向だろう、たぶん。

オタク文化は宗教に例えられる。素晴らしい作品を「神」と讃えたり、作品の舞台を実際に訪れる「聖地巡礼」をしたり、周りの人たちに知ってもらうために「布教」をしたりする。そして僕は、この「布教」が苦手だ。

もともと僕にとってあらゆる娯楽は自分個人で楽しむためのもので、だからコンテンツが続くレベルのファンが確保できてさえいれば、その母数を増やすことにそれほど興味がなかった。そういう意味での「苦手」もあるし、単純に、やり方がわからない、どこを切り取れば魅力が伝わるかわからない、そういう「不得手」という意味での「苦手」でもある。最近はAqours*1 が「多くの人に知ってもらいたい」と自ら発言しているので、前者の意味での「苦手」は薄れてきたけど、それでもやっぱり苦手意識はある。

Aqoursというのはラブライブ!シリーズの2作目に登場するグループで、基本的にはアニメ作品なんだけど、それに加えてメンバーを演じる声優さんたちが同じく「Aqours」を名乗ってライブを始めとしたリアルでの活動をしている。

で、僕は三次元Aqoursのライブに行くタイプなんだけど、そこでリーダー兼センター伊波杏樹さんがよく言うのだ。「Aqoursを、ラブライブ!サンシャイン!!を、多くの人に知ってもらいたい」と。

アニメコンテンツに明るい人ならラブライブ!の名前を聞いたことがないという人は、ファンの欲目もあるだろうけど、まあそうそういないだろう。なんせ初代の「μ's」は劇場版の興行収入がなんかとんでもないことになり、Mステに出演し、紅白にも出演し、さらには東京ドーム2days(しかも平日)を超満員で埋めて劇的なファイナルを迎えた。

僕にはこういう前提となる知識があるので、その後生まれたAqoursのリーダーが「ラブライブ!サンシャイン!!を、Aqoursを知ってほしい」と言うこと自体がもうなんというか言葉以上の意味を持って響くわけですよ。しかも彼女、サンシャイン!!のリーダーに抜擢される前の素人時代に、μ'sのコピーユニットを組んだりしてて。

けど、そこで最初の布教の話である。つまり、「同じ熱量では聞けなくね?」という問題。

僕はAqoursが生まれた直後から周りのファンの反応も含めずっと見てきているので、リーダーの言う「Aqoursを知ってほしい」とか「Aqoursってすごいんだぞ!」とかそういう言葉がぐっとくるわけだけど、布教相手って、大体において別にそれ自体に興味はないわけで。

巷には、有名アニメの最終回の最後のシーンだけを切り取って、それを見たパネラーが涙する姿を映して成り立っている番組もあるにはあるけれど、あれは布教ではないじゃないですか。賭けてもいいけどああいう番組で泣いてた人たちはその後アニメを1話から見たりしてないし、自発的にそのアニメについて調べたりしてないはず。

布教活動のゴールが自分と同じ、もしくは近い熱量のオタクを新たに作り上げることだとするならば、ああいう美味しいとこ取りのやつは完全に悪手なんだと思う。それだけで一定の満足感が与えられてしまうから。

で、「じゃあ実際布教するためにどうするの?」って話なんだけど……、どうすればいいんだろうね? それがわかれば僕は広告業界で名を残せるだろう。令和の糸井重里だ。

そういうこともあって布教活動は苦手だ。「自分の好きなものは周りもみんな好きになってくれるはず」なんて幻想を信じられる年齢でもないし。

結局こういう出会いってタイミングが重要で、同じ人間が同じコンテンツに触れるにしても、タイミングが違えば、触れるものが違えば、どハマリする可能性もスルーする可能性もあるわけで。

まあつまりこの記事で何が言いたいのかと言うと、ラブライブ!楽曲がサブスクで配信されているのでぜひ聴いてみてください! いい曲揃ってるんで! あとAqoursってすごいんでYouTubeとかで試聴動画見てください! という布教活動でした。

*1:ラブライブ!サンシャイン!!に登場するスクールアイドル。大好き。

ライララライララ

これはもう僻みというか願望も込みで言ってしまうんだけど、生きている理由を自分の中に見つけられる人なんて、人類のうち1%もいないんじゃないかと思っている。

かく言う僕自身も「なんとなく死ぬの怖いし好きなアーティストがまだまだ続いていくしだったら死ねないよなー」ぐらいの感じで、ケの日はアルコールを摂取してごまかしつつ、なんとなくダラダラと死を先延ばしにしているんですけど、そんな中で聴いたポルノグラフィティの『ライラ』にグサッと刺された、という話です。

ちょっとお金がなくてリリース日に買えなくて、この間の木曜日にやっと買えて、ちゃんと聴けたのは今日になってのことだったんですよ。だからツイッターのTLなんかでちょくちょく情報が入ってきていて、それを見る限りなんとなくネタっぽい感じの曲なのかなーと予想してて。

実際聴いてみると『ライララ ライララ ライララライライ ライライライ』とか言ってて「Mr.ジェロニモみたいなバカ曲(褒めてる)なのかな?」と思ってたところにあのセリフパートですよ。

え、なんでみんああれ聴いて触れずにいられるのマジで。グサグサえぐられませんかあれ。えぐられませんか。じゃあ良いんですけど。

僕みたいに特別な努力もせず、でもいっちょ前にヒロイックな妄想をしてしまう、言ってしまえば幼い人間には割とダメージでかいよね、あれ。わかって。

っていう感想を書き残しておきたかったんです。それだけ。

『海月』は海月で『カメレオン・レンズ』の流れを汲むようなサウンドもありつつ、もうちょっとポップになってて好きです。特にBメロ好き。

むしろ出遅れ

今年初めての半そでを出した。本当は次の休みにホットカーペットをしまうつもりで、それにあわせて衣替えをしたかったんだけど、ちょっとフライングだ。

とはいえ、半そで1枚ではまだ少し心許ない感じではあったので、カーディガンでも羽織ろうかと押し入れを探してみた。しかしどうにも見つからず、結局、薄めの上着を着て出かけることにした。昼間は少し暑かったけど、今の時間帯だとちょうどいい。

今ぐらいの季節の、今ぐらいの時間帯が好きだ。ついつい窓を開けたままで過ごしてしまう。混じりっ気も攻撃性もない、気持ちのいい空気。いい意味で、こちらに無関心でいてくれるような雰囲気がある。

いつ頃から暑くなるのかなぁ。あまり服をたくさん持っているタイプではないので、これくらいの時期は、服装に悩む。新しく服を買おうかと考えないでもないけれど、たぶん僕が服を買うより先に、季節が変わっていくんだろう。実際のところ服なんてものは、フライング気味に用意するぐらいがちょうど良いんだろうな。

春の日

「暖かくなってきた」というのがより正確なのかもしれないが、僕は、「暑くなってきたな」と感じた。お天気アプリで気温を見てみると、どうやら19℃もあるらしい。夏の19℃は涼しく感じるのに今の19℃が暑く感じるのは、やっぱり服装のせいなのだろうか。それとも、今までとの比較が重要なのか。単純に、暑いのが苦手だからそう感じるのかもしれない。

数日のスパンで繰り返されていた雨の予報も、この先一週間はないらしい。っていうか、なんなら桜も咲いていた。公立高校の卒業式も、先週だか先々週だかに終わったらしい。そういえば、洗濯物が乾くのが、少し早くなってきたような気もする。

ぼーっとしているとあっという間で、くらくらしてしまいそうだ。