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自分にとって一番身近な表現というのは、やはり文章なのだと思う。で、あるなら、この2020年4月のことは、世界が脅かされた、そして現在進行系で脅かされている今のことは、文章にして書き残さなくちゃいけないんだと思った。それは、他でもない未来の自分のためにだ。

大仰に「世界が脅かされた」なんて言ってみたものの、僕の生活は、むしろ以前より穏やかなものになった。仕事が休業になったからだ。

人生におけるストレスの殆どが、仕事由来のものだったんだなぁと改めて実感した。逆に家から出られないことは、それほどストレスではないらしい。

とはいえ、僕が生きる理由、それなりに人生を頑張る理由となっていたライブが全て延期、あるいは中止になってしまったことはとてもつらい。そして、ツイッターなんかで僕と関わりのある人たちの待ち望んでいたライブ、イベント、舞台などが影響を受けてしまったということは悲しい、つらい、苦しくなる。なんで生きているのかわかんなくなるくらいだ。

今の僕は、ストレスのない世界になんとなく生かされている。それは、波の起こらないプールの上にぷかぷかと浮いているようななんの刺激もない世界で、それはそれで悪くはないんだけど、やっぱりなんらかのが恋しい。

政治的ないろいろも目にする。

僕は左と右がそれぞれどっちの考え方だったか覚えられないくらいに政治は疎いんだけど、それでもまあ思うことはある。せめて、生活が苦しい人たちから順番に救われる世界であればいいなと思うけど、そうはなっていないような世の中に陰鬱としてしまうし、でも自分には関係のない世界ではあるので、その陰鬱とした気持ちに少し安堵もある気がして、それがすごくもどかしい。所詮は自分もその程度の人間で、世界のために生きることはできない。自分や、自分の好きな人たちが大切だし優先だ。

ほんと、せめて、せめて自分の好きな人たちがつつがなく生きていてほしい。それは事ここに至っては欲張りな願いなのかもしれないし、不謹慎なのかもしれないけれど、僕は、そう思う。

幸いにして僕はインターネットがあれば割とひとりでも生きていける人間のようなので、せめてみんなは幸せでいてね。今現在100%は無理だと思うけど、いつかは。

英語では、日記をつけることを「keep a diary」というらしい。「write」ではなく「keep」。せめて今を覚えておくことが、いつか平和になった世界で思い出してやることが、話の種にしてやることがせいいっぱいの復讐だと思うので、そう思って生きていきます。

またいつか会おうね。