あるいはメイド・イン・ヘブン

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「おれは3連休が始まったと思ったら、
 いつのまにか最終日の夜だった」

な… 何を言ってるのかわからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった

頭がどうにかなりそうだった… 催眠術だとか超スピードだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

 

……と、そんな感じであっという間に過ぎていった3連休だった。

感覚的には『ザ・ワールド*1』より『キング・クリムゾン*2』って感じだけど、もちろんスタンド攻撃をうけていたわけではなく、ただただ僕が異常なまでに眠っていたことが原因だ。3日トータルで48時間は眠っていたんじゃないかと思う。あるいは、そういうタイプのスタンドに攻撃されていたのかもしれないけど。

人と会いまくった年末年始(※当社比)と比べると、この3連休はほんとにひとりだった。たぶん休み中に人と交わした言葉は、

「ポイントカードはアプリのものでよろしいですか?」
「はい」
「○○円になります」
「カード払いで」

以上だ。相手はさっき行ったスーパーの店員さんだ。それでもそこまで「ひとり」って感じがしないのが、SNS時代のいいところだ。あるいは悪いところなのかもしれない。

まだ今ほど匿名のSNSが発達していなかった時代、僕はブログや個人サイトのBBSから友だちを作っていた。あれはあれで良かったんだけど、つながっている相手が何かを更新したら何らかのコメントをしなくちゃいけないような気がして、それはちょっと息苦しかったりもした。

それでいうとツイッターは気楽だ。みんな好き勝手ツイートして、気になることがあったらふぁぼるなりRTするなりリプを飛ばすなりして、距離のとり方が自由な気がする。

たぶん人それぞれに適切な距離感というものがあって、僕は、ツイッターの距離感が心地良い人なんだろう。誰かに向けずに言葉を紡げるというのは、ものすごく安らぐ。

基本的に普段の生活で何かを言葉にするときはそれを向ける相手がいるわけで、仕事だったり友人との会話だったりするわけだけど、言葉にする以上なんとか伝えなくちゃと頭を働かせなくてはならない。伝わらない表現なら、あんまり意味がない。音楽や絵画や文章みたいな不特定多数に向けた芸術ならそれもいいけど、普段の僕の言葉に、そういったタイプの価値はない。

もちろん友だちと過ごす時間はとても楽しくて大切だけど(新年会もクリスマス会も楽しかったし次も楽しみ)、それはそれとして、言葉を解き放つ時間が僕には必要なのだ。身体も解き放たれているとなお良い。つまりは働きたくない。

明日からはまた平日が始まって、言葉を枠組みに押し込めて、それに合わせて感情を切り取る日々が待っている。気が重くなるのは確かだけど、まあ、そうしなくちゃ生きていけないのも確かなので、なんとか乗り切らなくてはならない。

キング・クリムゾンが使えたら、楽しみな約束まで時間をふっとばすのになぁ。

*1:ジョジョの奇妙な冒険』に登場するボスキャラが使う能力。時間を止める。

*2:ジョジョの奇妙な冒険』に登場するボスキャラが使う能力。「過程」を飛ばし「結果」だけを残す。(ジョジョを読んでる人も割と理解してないから安心してほしい)