無人島(ただし動物はいる)

前作にあまりハマれなかったので発売当初から「絶対続かない」「間違いなく途中で飽きる」と自分に言い聞かせて買うのを我慢していたんだけど、もうどうにも辛抱たまらなくなって、今日のお昼にダウンロード版を購入しました。

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ということで、新生活スタートです。

 * * *

舞台は名もなき無人島。自由さがウリの島だけど、初日はやることもやれることもあんまりなかった。釣り竿と虫あみで生息している昆虫や魚を採集して、余った虫はお金に換え、余った魚はお金に換え、道具が壊れたら買い替えて……ということを繰り返すだけで一日が過ぎる。とはいえなんだかんだ熱中してしまって、気づいたら今日はお酒を飲んでいなかった。すごい。

明日になればやれることが増えそうなんだけど、この島では「明日」が訪れるのは午前五時らしいので、まだしばらくは「今日」だ。「明日」を迎えるのを楽しみにしつつ、もう少し採集してから寝ようかなぁ。

ちなみに、島の名前は「コチョウ島」です。「胡蝶の夢」からとりました。桃が名産の良いところなので、よければお越しください。

たぶん明日も

部屋の空気が止まっているような不快感があったので、お風呂あがりに窓を開けた。いや、不快というと少し表現が強いか。夜風が恋しくなっただけかもしれない。たぶん。

網戸の向こうから夜の気持ちいい空気が部屋に流れ込んできて、よしよしと満足する。

僕が家で飲むお酒は基本的にウイスキーの水割りなんだけど、水にはさほどこだわりがなく、水道水を沸騰させたものを冷まして使っている。電気ケトルのなかを覗くと、その湯冷ましが残り少なくなっていた。

そのまま飲み始めるかちょっと悩んだけど、足りなさそうな気がしたので水をつぎたして沸騰させる。電気ケトルは一瞬でお湯がわくので便利だ。ただ、逆にお湯が冷めるのは一瞬とはいかないのでしばらくはロックで飲む。お湯割りも嫌いではないんだけど、今日はそんな気分じゃなかった。

ウイスキーはやっぱりちょっと刺激が強いので、氷はやく溶けろ〜と思いながらグラスを揺すってカラカラと鳴らす。なんかちょっと楽しい。

飲みながらNetflixでアニメを何本か見終えるとお湯がちょうどいい感じに冷めてきたので水割りに移行する。氷はもうなくなってしまった。

ちょっと寒くなってきたので窓を閉める。明日は今日と比べて気温が落ちるらしい。ただ、天気は割と悪くないらしい。

友人のツイキャスを肴にこの文章を書きながら、やっぱりお酒を飲む。

通常営業

生活リズムは、ちゃんとしておこうと思っていた。思ってはいたのだ。

 

例のウイルスの影響で、僕の職場は今月の頭から一ヶ月間の休業となった。といっても仕事用のパソコンを持ち帰ってきているので、メール対応や細々とした雑務を気が向いたときにこなしたりはしているんだけど。

ところで、僕は自分が一ヶ月の休みを与えられたらどうなるのか知っている。それは小学校、中学校、高校、大学で学んだ数少ないことのひとつだ。

どうなるのかというと、ひたすらに本を読んだりインターネットに潜ったり音楽を聴いたりただごろごろしたりゲームをしたり文章を書いたり、そして、夜ふかしをすることになる。

いやね、僕の趣味は基本的にひとりでするものなので、周りが寝静まっている夜やるほうが都合が良かったりするんですよ。そして実家で暮らしていた頃は、他の家族が起きている間は、その空間は自分だけのものではなかった。唯一独占できるのが、夜の時間だったのだ。

学生時代の夏休みは、鳥が鳴きはじめ、外が蒸し暑くなってきて、勤め人がガサゴソと動き始めるのを合図に眠ったりしていた。特にするべき作業はないのに徹夜だ。そして、高校以降は夏休みが明けてもすぐにはもとの生活リズムに戻れず、最初の数日はサボり気味になったりしていた。元来朝は苦手だ。起きられるはずがない。

当時はまあそれでも許されていた感じはある*1んだけど、今はちょっと事情が違う。なぜって正社員だからだ。いやまあサボったりする日がないわけでもないけれど。うん。

それでも一ヶ月のお休み期間中も満額の賃金を保証してくれる職場に敬意を表して*2なるべく”ちゃんとしよう”と思ってはいた。……いたんだけど、気づいたら夕方からお酒飲んで寝ちゃってたよねー。三十分だけお昼寝のつもりが気づいたら夜の九時半だった。

そういうわけで今はまだあんまり眠たくないんですけど、お酒を飲んで、夜が暗いあいだに眠れるようにがんばります。幸いにして二日酔いで翌日を無駄にした経験はあんまりないので。

*1:個人の見解です

*2:こいつ、上から目線だな

なんとなく思い出したこと

なんとなくだけど、僕は、季節の変化というものに疎い気がする。

それがカッコいいと思って冬でも短パンを履いていた小学生時代はさて置くとしても、季節というものに対する印象が「夏、暑いなぁ」「冬、寒いなぁ」くらいのもので、なんだかぼんやりしている。基本的に部屋にこもって空調を効かせているのと、植物や星の名前に詳しくないからだろうな、たぶん。

とはいえ桜を見ると春を感じてしまうので、あれが持つエネルギーはすごい。「桜の下には屍体が埋まっている」なんて言葉もあるが、そう考えてしまうくらいの、なんというか、象徴としての存在感がある。

あれは確か一昨年の春だったと思うのだけど、当時勤めていた職場の人に誘われ、仕事終わりに夜桜を見に行った。目黒川だった。

夜とはいえ相当な人出で、多くの見物客と多くの屋台があった。僕らは他の見物客に流されながら、ベルトコンベアに運ばれるみたいに川沿いの道を進んだ。なんとなく、僕の思っていたお花見とは違う催しなんだなと思った。

僕も一緒に行った人も流されるままになんとなく一周すると疲れてしまい、高架下のおでん屋さんによって帰った。川沿いの道を歩いて少し冷えた身体に、鶏の出汁が効いたおでんは美味しかった。

そういえばあの日は頼もうとした何かが品切れで、その「何か」を次は食べようと約束したような気がする。なんだっただろうか。

僕が職場を離れてお互い連絡を取ることもなくなったので、たぶんあの約束が果たされることはないだろうけど、あのお店にはもう一度行ってみたいな。

桜の季節には無理だとしても、寒くなるころには行けますように。

 

あるいはメイド・イン・ヘブン

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「おれは3連休が始まったと思ったら、
 いつのまにか最終日の夜だった」

な… 何を言ってるのかわからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった

頭がどうにかなりそうだった… 催眠術だとか超スピードだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

 

……と、そんな感じであっという間に過ぎていった3連休だった。

感覚的には『ザ・ワールド*1』より『キング・クリムゾン*2』って感じだけど、もちろんスタンド攻撃をうけていたわけではなく、ただただ僕が異常なまでに眠っていたことが原因だ。3日トータルで48時間は眠っていたんじゃないかと思う。あるいは、そういうタイプのスタンドに攻撃されていたのかもしれないけど。

人と会いまくった年末年始(※当社比)と比べると、この3連休はほんとにひとりだった。たぶん休み中に人と交わした言葉は、

「ポイントカードはアプリのものでよろしいですか?」
「はい」
「○○円になります」
「カード払いで」

以上だ。相手はさっき行ったスーパーの店員さんだ。それでもそこまで「ひとり」って感じがしないのが、SNS時代のいいところだ。あるいは悪いところなのかもしれない。

まだ今ほど匿名のSNSが発達していなかった時代、僕はブログや個人サイトのBBSから友だちを作っていた。あれはあれで良かったんだけど、つながっている相手が何かを更新したら何らかのコメントをしなくちゃいけないような気がして、それはちょっと息苦しかったりもした。

それでいうとツイッターは気楽だ。みんな好き勝手ツイートして、気になることがあったらふぁぼるなりRTするなりリプを飛ばすなりして、距離のとり方が自由な気がする。

たぶん人それぞれに適切な距離感というものがあって、僕は、ツイッターの距離感が心地良い人なんだろう。誰かに向けずに言葉を紡げるというのは、ものすごく安らぐ。

基本的に普段の生活で何かを言葉にするときはそれを向ける相手がいるわけで、仕事だったり友人との会話だったりするわけだけど、言葉にする以上なんとか伝えなくちゃと頭を働かせなくてはならない。伝わらない表現なら、あんまり意味がない。音楽や絵画や文章みたいな不特定多数に向けた芸術ならそれもいいけど、普段の僕の言葉に、そういったタイプの価値はない。

もちろん友だちと過ごす時間はとても楽しくて大切だけど(新年会もクリスマス会も楽しかったし次も楽しみ)、それはそれとして、言葉を解き放つ時間が僕には必要なのだ。身体も解き放たれているとなお良い。つまりは働きたくない。

明日からはまた平日が始まって、言葉を枠組みに押し込めて、それに合わせて感情を切り取る日々が待っている。気が重くなるのは確かだけど、まあ、そうしなくちゃ生きていけないのも確かなので、なんとか乗り切らなくてはならない。

キング・クリムゾンが使えたら、楽しみな約束まで時間をふっとばすのになぁ。

*1:ジョジョの奇妙な冒険』に登場するボスキャラが使う能力。時間を止める。

*2:ジョジョの奇妙な冒険』に登場するボスキャラが使う能力。「過程」を飛ばし「結果」だけを残す。(ジョジョを読んでる人も割と理解してないから安心してほしい)

エピローグ

10時間もあればなんでもできるような気がしていたけれど、終わってみると全然足りない。ボードゲームで優勝し、見事『五反田のプロポーズ王』となった友人が優勝賞品のケーキを食べているなか他のみんなで撤収作業を進めているのが、慌ただしくも名残惜しさを可視化しているみたいでなんとなく面白かった。

その日は、友人と7人で新年会だった。昼の12時から夜の10時まで合計10時間、マンションの一室にあるレンタルルームを借りての集まりだ。

本当はその10時間でライブBDを見て、鍋をして、ライブグッズのお好み焼き(!)を作って食べて、ゲームをして遊ぶ予定だった。結果 鍋とお好み焼きはできたものの、ゲームはまだまだし足りないし、今回メインのはずだったライブBDは全く再生されずに終わった。「暗くなったら使おうね」と話していたBD用のプロジェクターは、結局最初に使い方を把握するために少し動かしただけだった。

台所に立つひとが入れ替わり立ち替わり作業をし、余った飲み物やお菓子、たくさん出たゴミ袋を持ち帰るひとが決まって部屋を出るころには、退室予定時刻の10時を少し過ぎていた。

エレベーターと階段に分かれて1階に降り、レンタルルームの鍵を元あった郵便受けに返す。その時、入室時にはどうしても見つけられなかった1階入り口のオートロック用のカードキーを見つけて面白くなった。僕も友人も何をどうしても見つからなかったから、マンションの住人の後ろにこっそりついて入ったのに。

みんなでそれぞれゴミ袋を持って列を作り、駅までの短い距離を歩く。次の約束もしたりして、いい気分だ。

と、1人の友人がさっと列を飛びだし反対側の歩道に走り、カメラを構える。僕もカメラの先に目を向けると協賛看板があったので、なるほどなと楽しくなる。そういえば、ちょっと前まで『協賛看板』なんて呼び方すら知らなかった。

時間の感覚がなかったので正直まったく正確ではないと思うんだけど、たぶん、5分もしないうちに駅に面した大通りに着いた。信号を渡ればもう駅だ。

道の端っこ、建物の陰に寄って精算をする。幹事をやってくれた友人や諸々の買い物をしてくれた友人から使った金額を聞いて人数で割ると、だいたい1人ライブ1回分くらいの支払いだった。

「細かいのがないから」とコンビニに行った友人を待ちながら、なんかこういう時間って良いなぁと思う。ライブ会場でも、終演後、なるべく遅くまで席に残っていたいタイプなのだ。

精算も終わり、帰ろうかと歩き始める。やっぱり名残惜しい。

ひとりが別の駅から帰るということで、その友人だけ信号を渡らずに右に折れる。去り際に投げキッスをする友人を見て、「投げキッスってどうやって受け取るんだろう?」「私はこうやった」とか話しながら信号待ちをする。

それほど長いあいだ待っていたわけでもないのに、信号が青に変わる前に、別の駅に向かったはずの友人が帰ってきた。短いお別れだった。なんでも駅への入り口が閉まっていたらしい。

「だったら電気くらい消しといてほしいよねー」なんて話しながらみんなで同じ駅まで行く。そこで今度こそ別れた。

電車でそれぞれの乗換駅に向かいながら話をした。何を話したかあんまりちゃんと覚えていないんだけど、千葉に帰る友人が持ち帰ってくれている鍋用のネギが千葉県産だということに気がついて、なんとなく面白かったことは覚えている。

みんなが降りていって、僕ともうひとりだけが残った。席が空いたので、2人で並んで座る。

最初は「最近よく会うよね」なんて話をしていたんだけどどうにも眠たかったらしく「降りるときに起こしてほしい」と頼まれた。念のため「僕が寝ていなければ」と返す。

目を閉じた友人が、右手から落ちそうになるゴミ袋をたぶん無意識に握り直すのを見て、寝ているあいだくらい代わりに持ってれば良かったなぁと思った。でも、起こすのもそれはそれで悪いので声もかけずにぼーっとする。

僕が降りる駅まで着いたので約束通り友人を起こし、そこで別れた。

ついにひとりになって、最寄駅まで向かう電車に乗り換える。

最寄駅に着き、駅から出ると、雪が降っていた。いやその時は雪のような気がしたけれど、いま思えばみぞれかもしれない。木の葉に当たる音が少し重たかったので、たぶんただの雨ではないと思う。

傘も持っていないのに楽しくなって、なんとなく浮かんだ曲をメドレーでくちずさみながら家まで歩いた。

2019年も終わるけれど

2019年の12月31日と12月30日の残り時間に申し訳ない気持ちになりながらこの記事を書いてる。そんな今年の振り返りです。明日まで今年なんだけどね、許して。

僕にとって2019年は激動の年ではなかったと思うんだけれど、それでもいろんなことがずっと少しずつ変化していった年だったのかなと思う。

例えば就職が決まったり、例えば祖父が亡くなったり、例えば、新しい友だちができたり。

大きいトピックをあげるとそんなところかなぁと思うんだけど、それ以外でもなんとなく自分の心境というか、自分が自分という型から少し逸脱していることに気づけたというか、そういう気持ちがある。それほど大げさな話ではないんだけれど。

僕の古くからの知り合い(ネットで知り合った友人を『古くからの知り合い』と呼ぶ日が来るとは思わなかった)に僕が正社員になったということを話すと、めちゃくちゃ驚かれる。

そりゃそうだと思う。僕も自分でびっくりだ。でも、働き始めてみると、この生活もそれほど悪くないんじゃないかと思ってしまう自分がいるのも事実だ。

収入は安定しているしやることやってりゃなんとかなるし、今まで「初めてのことをやりたい」とか言いながら就職を避けていたことに多少の負い目(誰に対する?)があったりもしたんだけど、やっぱりやってみないとわかんないなぁと思う。働かずに済むならそのほうがいいのは変わらずだけど。

祖父が亡くなったのも、それ自体は(語弊を生むかもしれないけれど)それほど悲しくはない。なんせもう祖父は100歳も超えて親戚みんな心のどこかでそういう日を覚悟していたはずだ。

僕にとっては物心ついて初めてのお葬式で、喪主の挨拶も骨拾いも祖父を焼く時間の飲み食いも(祖父を焼く時間ってすごい表現だな)、全てが新鮮だった。

ただ、もうちょっと地元に帰って、そのときに会いに行っていればよかったなぁとは思う。後悔している。それだけ。

学校を卒業して以降 新しい友だちができると、なんとなくびっくりしてしまう。別に在学中も学校以外で友だちができたりしてたのにね。

今年は友だちと泊りがけの旅行に行ったり、朝までいろんな話をしながら過ごしたり、台風が迫っているのにカラオケで夜を明かしたり、人との付き合いを楽しんだ年だったような気がする。

新しい友だちができたのもそうだし、昔からの友だちと会う機会も結構あって、それはやっぱり嬉しかった。

僕は今まで自分は一人が好きな人間だと思っていたし、実際好きは好きなんだけど、それはそれとして、仲良しな友だちと過ごす時間って楽しいんだなって改めて思った。今までもそういうタイプの楽しい時間は過ごしてたはずなんだけど、改めて気付かされたというか。2020年も年が明けて割とすぐから人と会う予定がある。そしてそれが楽しみだ。

来年は何かひっくり返されるのかなぁ。まったく想像もつかない。ひょっとすると結婚とかしてるかもしれない。現時点で全く予定はないけれど。

そういう予想外の出来事が起こり続ける限り、人生も捨てたもんじゃないと思えるのかもしれない。だって楽しい日はあるんだから。

お酒を飲みながら思いつくままキーボードを叩いて文章を打ってしまった。まとまりもとりとめもない。

喪中だからこのブログで新年の挨拶に代えさせていただきます。来年は今以上の時間を過ごしたいです。